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執筆者の写真Syu

LGBTに偏見のあった私が理解者になるまで

更新日:2022年3月18日

外国の友達に教わったLGBTQに対する捉え方


Q.Z. (ICC Student Staff Leader)


Part I


「男のくせに女々しくて気持ち悪い」、「その女の子は何で男のふりをしているの」、「姉が同性愛で恥ずかしい」… このような考えを持っていた過去の自分がとてもバカだと思う。


私は中国で生まれ、中国で育った。欧米と比べて、中国におけるジェンダーに対する主流的な捉え方は非常に保守的だ。当然のことながら、私は中国にいた時、そのような保守的な考え方に大いに影響されていた。高校を卒業して日本に渡航し、全世界から学生が集まっている早稲田大学に入学した。そして、異文化交流センター(ICC)によく顔を出すようになった。そこで、ヨーロッパ出身の学生達をはじめとして、色々な国からのたくさんの友達ができた。その友人たちのおかげで、自分とはまったく違う世界観に触れ、新しい考え方を学んだ。特に、ジェンダーに対する捉え方は、過去の自分とは別人になったように変化した。


私はジェンダーを意識するようになったのは、多分、思春期が始まる頃だった。思春期以前は、「男の子と女の子は体が違うだけだ」という認識だった。それは、私が男性で双子の姉がいて、女の子と一緒に成長していたからだ。女の子が特に自分と違わないという単純な考え方は正しい認識だったかもしれない。しかし、そのような認識は発育と社会環境の影響で変わった。中学生になると、自分が男だと強く意識し始め、男だから男らしく振舞わなければならないと考えるようになった。その頃、初恋をした。つまり、顕在化した性的指向の働きで特定の性別の人を恋愛対象と見始めた。性的指向は先天的な性質だろうか、自分にはわからないが、私は今までずっと、自分が異性愛者だと思っている。生まれてから自分が接触してきた情報源では、例えば、本やテレビ、新聞など、すべて異性愛が当たり前だという世界観があったようにと感じていた。それで、私も異性愛者じゃないとおかしい、自分と違う性的指向の人は「異常」だと考えるようになっていた。そして私にとって「不幸」なことに、中学校の時、双子の姉に彼女ができた。同性愛という言葉にさえ触れたことが少なかった私にとって、あまりにショックだった。これがきっかけで姉を嫌うようになった。さらに、このような姉がいる自分が恥ずかしいとさえ思った。

 

そのような私だったが、異文化交流の体験を通じて生まれ変わった。最初は、日本における同性愛に対する寛容度が中国より高いと気づき、私もある程度、同性愛が「異常」だと思わなくなった。とはいえ、同性愛の家族がいることはどうしても平気でいられなかった。そして、同性愛が「異常」だとは思わなくなっても、他の人とはどこか違うと感じて、知らないことに対する新鮮さにも近い「興味」を持っていた。そのため、誰々が同性愛なのかと興味津々に尋ねたり、同性愛の姉のことを批判したこともあった。


そんなある日、フィンランド人の女性の友達に頭を打たれた思いをした。ICCでよく出会っていた彼女に、「○○さんが同性愛らしいね」と言った。言い方から私の不純な動機を察知したようで、彼女は「あ、そう?どうでもいいんじゃん」と不快感が顔に露わになったのを感じた。このことがきっかけで、私は自分の性的指向に対する見方が間違っているのではないかと自問した。そもそも、同性愛はどこが良くないのか?その答えが見つからなかった。自分が何を、誰を好きなのかを決めるのは自分の脳だと、私は思っている。自分の頭にある思考と精神は体に囚われるものではない。もし精神が身体に囚われるのであれば、生理学的に飛ぶことができない人間は、飛行機という構想には到底辿り着かなかっただろう。


Part II


性的指向だけではなく、トランスジェンダー*も同様だ。正直に言えば、私も子供の頃、女の子になりたいと思ったことがあった。姉のドレスを着てみたり、母親のハイヒールを履いてみたりしたこともある。しかし、それはやはり当時の自分にとって恥ずかしいことで、絶対に抑えなければならないことだと思った。私の経験は、ただの好奇心によるものかもしれないが、もしかしてトランスジェンダーの性質の現れだったかもしれない。しかしながら、今となっては、それはもう分からない。なぜなら、自身の感情が「異常」だと当時自分が思っていたことで、強引に周りに認められるような存在でありたいと願い、止まってしまったからだ。


*トランスジェンダー:本稿での定義は「生まれた時に割り当てられた性と、性自認あるいは性表現が一致しない人」としています。 

一方で、一人のイタリア出身の友人は私と異なり、子供の時によりはっきりと自分のジェンダーに対して認識していたと語ってくれた。彼は秀麗な顔をしていて、話し方も、仕草も優雅なとことがあり、男女ともに人気がある。彼は男性も女性も性的指向の対象であり、性自認が男性だ。しかし、彼は子供の時、女の子のように振る舞っていたという。そして、彼の母親は彼に対して、「もしあなたが女の子としていたいなら構わない、それがうまく行くように何とかするよ!」と言っていたという。子供だった彼はそれに感動して、よく考えたそうだ。その結果、彼は自分の心が男だとはっきりと認識した。

 

他方で、私の親は未だに姉の性的指向について心配している状況にある。自分の親が良くないと言っているのではなく、社会的環境から保守的な考えに何十年も影響されてきたから、今更考えを変えることが難しいことも十分に理解している。しかしながら、子供の性のあり方をサポートする親が、すべての親のあるべき姿なのだと思う。

 

このイタリア出身の友人の話を聞いて、私はトランスジェンダーに対する理解がより深まった。人間は身体に拘束されることなく、心に思うことを追求すればいい、それこそ自由になれる。だからもし自分が男として生まれても、女の心を持てば、女として生きればいい。逆も同じだ。別に勇気なんか要らない。それはあたり前のことだ。勇気が要ると言うのなら、それは心が自由ではない他人の視線があるからだ。しかし、心の自由な人間が心の不自由な人間に迎合し、同じく心の不自由な人間になることはとてももったいないことだ。


Part III


今の私は、自分が中学校から高校の頃、姉のことを理解するのではなく、他人と一緒に彼女を嫌ったことを後悔している。そして、すべてのLGBTQに対する悪意を持っていた過去の自分に平手打ちしたいと感じている。当事者が「異常」なのではなく、過去の私を含め、それを「異常」だと思う人達がおかしいわけだ。私自身が女の子になりたいと思ったことがあるように、知り合いの中にも違う性別になりたいと思ったことがある人は何人もいる。もしかしたら、ジェンダーの境界線はそもそも曖昧なものかもしれない。「男らしい」、「女らしい」といった言葉自体が間違っていると思う。「男」と「女」は水と油のような正反対のものではなく、混ざり合える似ているものなのかも知れない。共通項で括れば、同じく人間だ。つまり、生まれた時に割り当てられた性別だけをもって、人間をパターン化した性格、心理的特徴、振る舞いや仕草などを強制してはいけないのだと感じている。これは私の個人的な思いに過ぎないが、特に保守的な考え持つ方々にも、この思いを伝えたく、私の昔の過ちをブログに書くことにした。


愛は愛だ(photo by 42 North)

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