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「休学、ユーラシア大陸横断、そしてICCへ」

更新日:2022年6月30日

こんにちは! この春からICCで学生スタッフリーダーとして働いている、社会科学部四年生のH.H.と申します。 まずは簡単に自己紹介をさせていただきます!


僕は大分県の、温泉まで徒歩3分の場所で生まれました。高校時代は放課後に友達とスタバ・・・・ではなく温泉に行ってチル(笑)していました。男四兄弟の末っ子です。未だに年下との接し方がわからないのが悩みです。そして高校まで日本はおろか九州からも出たことがありませんでした。今は早稲田にある築40年の和室四畳半一間で一人暮らしをしています。


そんな、田舎育ちで狭いアパートに住み「昭和の早大生」と揶揄される僕がICCというグローバルな場所に来たきっかけとなった昨年の出来事について、お話させて頂きたいと思います!


昨年、ぼくは大学を一年間休学して、ユーラシア大陸を横断するひとり旅をしました。


元々、Led ZeppelinやRadioheadなどの外国のロックバンドが好きだったこと、サッカー少年だったことから、外国に対して、人一倍の憧れを抱いていました。 それもあって、大学では平和学(国際関係の一分野)のゼミに入りました。


ゼミや授業では、旧ユーゴスラビア、クルディスタン、パレスチナ、コーカサスなどで起きた民族や宗教、ナショナリズムの問題をテーマに発表を行いました。その準備のために本やニュース、ドキュメンタリーなどに触れるほど、ますます外国に対する興味が強くなっていきました。


「華やかでオシャレ」というイメージしかなかったヨーロッパで、たった20年前に凄惨な民族紛争が起こっていたり、現在は移民・難民問題で国内に亀裂が走っていたり・・・。 「悪の枢軸」と名指しされたイランは、実は最もホスピタリティに溢れた国だというウワサを聞いたり、パレスチナでは居住地域が完全に分断されて町の様子はそれぞれでガラッと違うようだったり・・・。


そのような情報に触れるうちに、 「本とかネットにはこう書いとるけど、実際どうなんやろ・・・」、「自分の目と耳で感じたことを大切にせんとなあ・・・」という思いが強くなりました。


日に日にその思いは増していき、遂に、 「よし、バックパッカーや!色んなとこに行って色んな人の生の声をきこう!」 と決意しました。


そうと決めたはいいものの、なにをするにもお金がかかります。 学費と生活費をすべて奨学金とアルバイトでまかない、家賃30000円の古アパートに住む身。もちろん仕送りなんてありません。これは困りました。どうしよう。


困っているだけでは仕方がないので、 「じゃあ働くか。あ、働くなら休学するしかないな。どうせならユーラシア大陸横断しよう。」 ということで、休学することを決めました。


すぐにリゾートバイトの会社に登録し、淡路島の旅館を紹介してもらいました。


4月1日から旅館の派遣社員として、毎日5時半に起きて、10時間働く日々が始まりました。これが肉体労働でけっこう大変なのです。 初めは友達もおらず、休憩時間にはひとりで海辺に行って、本を読んだり、手紙を書いたりしていました。しかし、少しずつ社員の人たちと打ち解け、仕事終わりに深夜まで語り明かす仲になっていきました。 そこには早稲田とは全く違うバックグラウンドや考え方を持った人が集まり、その人たちと交流する中で、今の早稲田には豊かな「ヨコの多様性」があるけれど、かつて存在していたという「タテの多様性」は失われているのではないかな、と日々、感じるようになりました。


4か月に及んだ旅館の仕事も終わりに近づいた頃のこと。 35度を超える猛暑のなか、汗をかきながら重いテーブルを運んでいると社員さんが、 「H君、夢のために頑張りや。いろんな経験して、帰ってきてまたいろんな話きかせてな。ほんで、出世して今度はお客さんとして泊まりきてや!」 と言ってくれました。


東京に帰る夜行バスのなかで僕はひとり泣いていました。


そして夏のおわりに、新品のバックパックを背負って、フェリーで日本海からロシアに渡りました。シベリア鉄道に乗ってモスクワへ行き、バスと電車を乗り継いで東欧を縦断したあと、中東を巡りました。


半年におよぶその旅のなかで、たくさんの出会いと別れがありました。


アルメニアで出会った大学生は、 「僕はもうじき兵役へいく。本当はもっと機械工学の勉強をしたかった。だけど、この小さな故郷を守るためだ。きっと生きて帰るんだ。」 と、不安と決意に満ちた顔で僕に語りました。


イランで出会った初老の男性は、 「この国の若者は西洋の価値観に傾倒しすぎている。確かに、豊かで現代的な文化や生活に惹かれるのも理解できる。しかし、我々が数千年をかけて築いてきたイラン人としての歴史やアイデンティティ、イスラームに依った価値観をあまりにないがしろにしているように見えるのが悲しい。」 と寂しげに呟いていました。


ジョージアではおばあさんが、 「ソ連時代が一番幸せだったわ。ちゃんと勉強していれば、必ずちゃんとした仕事と家を政府が用意してくれた。病院や学校も無料だったから、今みたいに道端で物乞いをする人もいなかったし、借金を背負ってまで大学へ行く必要もなかった。外国に行く自由はなかったけれど、等身大の幸せにはそれで十分だった。」 と今はもう存在しない、かつての母国を懐かしんでいました。


例を挙げればキリがありませんが、このような「そこに生きる人々の生の言葉」は、僕が事前に抱いていたモノクロのイメージを鮮やかな色で塗り替えて、ずっしりと心の底にまで沁みこんできました。 もちろん本やマスメディアなどを通して得る客観的な事実や全体的な視点も不可欠ですが、実際にその状況に置かれた人の、なんのフィルターも通さない生の言葉もまた大切なものだと思います。そうした「生の言葉」を聴くことは、机の上では決して分かり得ない、かけがえのない経験でした。


このように1年間を通して、淡路島では国内の、外国では国外の、大学では出会えないような多種多様な人と出会い、その数だけの、その人にしかない感性や考え方、生きる指針のようなものに触れることで、自分自身の「こうありたい」、「こう生きていきたい」という部分に大きな刺激と影響をもらうことができました。


そして、今年の春に復学し、これからも今までの自分とは異なった環境に身を置いて、色んな人と出会い、他の学生たちの出会いや気付きのきっかけにも携わっていきたいという思いからICCの学生スタッフリーダーに応募しました。 現在はバックパッカーに関するイベントや某インターネット企業のダイバーシティ豊かな職場での働き方に関する講演会を企画しています。


皆さんにとってもICCの活動が色んな人との出会いの場となり、他人を知ることで自分自身についても理解を深める機会になることを願っています。 そしてその実現のために、僕も精一杯頑張ります。 このブログを読んでくれた皆さんと、イベントやラウンジで出会えることを楽しみにしています!


長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました!


H.H.(学生スタッフリーダー)

アルメニアの首都エレバン近郊から望むアララト山。ノアの方舟が辿り着いたとされる、アルメニア人の誇りの象徴です。

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