最近、ネットフリックスでアニメ「ジョジョの奇妙な冒険・Part6ストーンオーシャン」を見終わった。波瀾万丈の物語、漫画家の荒木飛呂彦さんの独特の考えやコンセプトなどから、非常にお勧めできる作品だ。最後のエピソードは「この素晴らしき世界」と名を冠しているが、前作のエンディングと一風変わり、私はこの予想不可能なエンディングに仰天してしまった。さて、この作品には、重要登場人物の一人であるプッチ神父のセリフとして、「人の出会いは重力だ」というのがある。このセリフは私の頭から離れなくなって、私はこのセリフが及ぼした考えの連鎖に浸り込んでしまった。人の出会いには果たして引力があるのか。
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私が企画したイタリア文化ナイトは2022年12月7日に開催した。しかし、この企画自体はこの世がコロナ禍に一変される前に、つまり、2019年に、私はすでに企画書を書いていた。ご存知かもしれないが、コロナ蔓延防止対策の一環として、ICCは対面イベントを全部取り下げていた。私はオンラインの文化ナイトに妥協できず、待っていた。
ICCの留学生スタッフ は自分の母国に関するイベントを企画する傾向がややあるが、私はイタリアイベントにこだわった。それは、大切なイタリア出身の友人がいるからだ。彼は早稲田で一年間の交換留学をしていた。ICCで出会った彼が、ICCのイベントに何度も参加してくれて、イベント後のアンケートに、いつも「ICCへの提言」として「イタリア文化ナイトをやってほしい」と書いていた。残念ながら、彼の交換留学期間中に、イタリア文化ナイトは実現できなかった。
私が企画したイタリア文化ナイトに関わったスタッフたち、いや、むしろ私の今の友人たち全員、誰もが彼のことを私の口から聞いたことがあるのだろう。彼との友情が、今までのすべての友情よりも深いと私は思っている。大学の専門分野が同じで、世界観と価値観が共有できるだけでなく、頭の良い彼から私は大いなる学びを得ているだけでもない。私たちが深い関係が築けるのは、お互いの趣味を教え合うことと、あらゆるトピックについて理性的討論ができ、いつも一緒に有意義な時間が過ごせるからだ。
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人間は容器だろう。人生は自分という容器の中に様々な経験と啓発を入れていく過程だ。そのために、自分という器にいかなる余裕を持たせるのかが大事だと思う。私は好き嫌いがはっきりしているが、いつでも新しい考えを受け入れられるように、意識的に己の批判的思考を鍛錬している。そのおかげで、自分の人生の中に、何度も良い意味での価値観の変化が起きたことがある。そのきっかけは、ある出来事、またもっと多くの場合は、ある人との出会いだった。私たち一人ひとりはそのような出会いがゆえに今の自分になっているのではないか。私のイタリア人のベストフレンドはまさに、今の私を作り上げてくれた一人だ。
現実には「もし」がないが、私たちが今まで出会った人に出会えていなかったら、とよく考える。もし自分が日本に来なかったら、早稲田に進学しなかったら、またはそのイタリア人のベストフレンドが気まぐれで(実際はそうだったらしい)日本での交換留学をしなかったら、私たちは出会えていなかった。そうならば私は、イタリアにもそこまで興味をもつことはなかった。ICCでイタリア文化ナイトの企画も当然するわけがなかったのだろう。そして、イタリア文化ナイトを通して知り合った素晴らしい人達に出会うこともなかったのだ。このような出来事の連鎖は、すべて偶然なのか、すべて瞬時の選択によって偶々出来上がった事実なのか。もしくは、私たちの出会いは必然で、パラレルワールドが存在したとしても、別の世界の我々は今の大切な人々に出会えているというのか。
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イタリア文化ナイトは沢山の協力協賛をいただいた。駐日イタリア大使館、イタリア文化会館や駐日イタリア商工会議所の組織から、モンテ物産株式会社、CT SPIRITS JAPAN LTDや株式会社GoGo World などの各企業まで、それにアンサンブル・リドールという学内公認サークルも含めて、多大なるサポートをいただいた。それらの団体のおかげで、当日参加者にアルコールのアペロールスプリッツ(成年者のみ)とイタリア産のスパークリングオレンジジュース(サンペレグリノ・オレンジ)の試飲、グリッシーニの試食をしていただけた。それに、音楽サークルによる心に触れる迫力のある美しい生演奏も聞いていただくことができた。更に、抽選会を開き、Tシャツ、メモ帳、お菓子セット、イタリア語勉強本、やオリーブオイルなどの賞品が用意できた。当選できなかった参加者も手ぶらで帰ることのないように、すべての来場者にイタリア産の桃ジュースとイタリア風の焼き菓子をプレゼントすることができた。もちろん、ICC内部のフルタイムスタッフも、同じく学生スタッフの皆からも、企画段階のブレインストーミングからイベント当日の補助まで、至る所に助言と補助をいただいた。改めて、団体としての凝集力と団結力の重要さを感じた。
イタリア文化ナイトは、私が個人的にそのベストフレンドと一緒に早稲田で過ごした月日に捧げる思いを元に立案したものでもあった。彼はすでに早稲田にいないが、私はイタリアとのつながりをこのイベントを通して一層深めることができた。なぜなら、個性豊かなイタリア人留学生と仲良くなり、協力協賛していただいた組織や企業の方々とも様々な交流を通し繋がることができたからだ。結果として、私の人間関係にも新しい「章」が始まった。
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では、人との出会いは重力なのか。『万有引力』によると、一人ひとりが引力を持っているらしい。しかし、運命の誰かを引き寄せないことはもちろん、物理的な引力は当然他人との距離も縮めてくれない。ならジョジョのセリフのように、「出会うベくして出会うもの」だと、我々に言えるのだろうか。この言葉の意味が間違いだとは誰も証明できないだろう。なぜなら、私が考える出会いとは、必ず何らかの影響を及ぼしているほどの意味を持ち、それは事実として変わることがないからだ。そして出会ったものは出会った以上、出会っていなかったという非現実節(counterfactual)が実際に観察されることはない。加えて、人はなぜ出会った、どうしたら出会えなかったという問いに対して、あまりにも多量の変数が作用しているため、到底論理的推論はできないと思う。
しかしそれはあくまでも結果論で、「出会いの引力」を証明することができない以上、その引力が存在するとは言い切れない。それらの考えを踏まえてもなお、私は依然として人間がある人を惹きつけるような、何らかの力の存在を信じている。偶然論は論破しようがないが、見知った沢山の人波の中に、特定の何人かと深い関係を築くのは偶然ではないと信じている。我々は、人生の中に恐ろしい数の人間と会っている。その中から、大切な人たちが必ず現れる。それは出会いという神秘なる力で、我々の人生の最高の導きだ。
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今回のイベントも、イタリアへの愛を持っているからこそ、出会いの引力が私をイタリアと縁のある沢山の素敵な人達と出会わせてくれた。それらの人達から大いなるサポートをいただき、ICCイタリア文化ナイトを開催することができた。上記の各会社とサークルに加え、イタリア人留学生10名にイベントをサポートしていただいた。彼らはそれぞれイタリア内でも様々な地方出身であり、イタリアのダイバーシティが実感できるほど髪や肌の色などが違う。しかし、彼らは共通してフレンドリーの性格を持ち、熱心にイベント内容の提案と企画に携わってくださった。私はもう一度出会いの引力に感謝したい。貴重な外国出身の友人が10人もできたからだ。
最後に、やはり積極的に自分の引力を発揮していかないと、大切な人たちは飛んでこない。早稲田大学では様々な出会い方があるが、異文化交流に興味、関心を持つなら、ICCイベントに参加することは間違いない選択だろう。視野と人脈を広げているうちに、運命の出会いがあなたに吸い寄せられるのだろう。私も、これからも、一つひとつの出会いを大切にし、引力のある人間になるために頑張りたい。
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