~韓国人留学生の視点からみた韓国と日本との違い~
母国である韓国は、昔から日本との関わりが深く、とても似ている国だと言われています。韓国人である私の親も、他の国々に比べて言語や文化が似ているため、一人で留学してもそれほどきつくないのではないかと考え、日本を私の留学先として認めてくれたのだと思います。私も、日本語を学んでいるときはそう思っていました。しかし、日本に来てからは、言語の面は確かに似ていますが、文化の面では、真逆に感じる場面も多いと思いました。そこには深い社会的、文化的背景が関連しているのかと感じていますが、今回のブログでは、それら実際に感じたいくつかの場面を紹介したいと思います。
紹介する場面の一つ目は、知らない人に対して、「親切を尽くす場面」が違うということです。
まず、韓国の場合は、重い荷物を持っている人を見かけたら、すぐ「お手伝いしましょうか」と聞いて手伝います。とくに女の人やお年寄りであれば、なおさらです。しかし、私の身近で感じられる日本では、そのような場面で声掛けがあることは稀で、その場を立ち去ることが多いように思います。その人が荷物運びに苦労していても、「手伝ってくださいという協力のお願い」がない限り、率先しては手伝わないケースが多い気がします。実際に、私が京都から東京への新幹線に乗った時に経験した例を紹介します。移動用のスーツケースを持って新幹線に乗ったため、席上にある荷物スペースに置く必要があり、一人で頑張って置こうとしました。まず一人で頑張っている姿を見せれば周りの人たちが手伝ってくれると思いましたが、残念ながら、周りの誰一人、手伝いましょうかの言葉をかけてくれる人がいませんでした。韓国であれば、1-2回自分で試して一人でできなさそうな姿やきつそうに見えたら、周りの人々が「一緒に上げましょうか」と聞くことがほとんどです。一方、日本では新幹線の中にいた人のほとんどが服装から、男性会社員と感じられましたが、ただ私を仰視しているだけでした。幸い、その後、西洋人風のお爺さんが「May I help you?」と聞いてくれて、すぐに手伝ってくれました。
たぶん、このケースにおいて、私が「手伝ってくれますか」と一言、協力のお願いをしたら、すぐ手伝ってもらえたのだと思います。人それぞれ性格が違いますし、一般化してはいけませんが、日本人の友達からもよく「日本人はシャイだからね」と言われたことがあります。日本人は韓国人よりシャイなところがあるため、親切心の差ではなく、自ら「お手伝いします」となかなか言えないということも、今回のことの一因だったのではないかと感じています。
その反面、日本人は道について聞くと、とても親切に教えてくれます。日本に初めてきたとき、電車の路線や用語などに慣れておらず、友達のマンションから逆方向の終点まで、しかも、急行で行ってしまったことがあります。そのとき、隣に座っている方に聞くと、間違えて乗っている事実だけではなく、自らの携帯のアプリで次の電車を探し、「〇〇で降りて、何分待っていればちょうど何時何分にこの方面から電車が来るからそれに乗って、何時何分に降りればいい」と、とても詳しく説明してくれました。きっと外国人には駅の名称や急行などの理解は難しいだろうと考え、時刻や方面まで教えてくれたのだと思います。この経験以外にも、方向音痴の私は、よく道に迷うのですが、見ず知らずの日本人の方々に助けられたことが多々あります。一方、韓国では道を聞こうとすると、すぐその場から離れようとすることが多いように感じています。これは、「悪質な勧誘や声掛け」の影響があるのだと思います。日本でも似たような場面があると思いますが、韓国の方がさらにそのような場面が多く感じられ、それを避けるために声を掛けられる場面から離れようとする傾向があるのではないかと思っています。
まずは両国の親切心とそれが現れる場面の比較をしてみました。ステレオタイプで物事を見ることは出来ませんが、これには国民性や国の文化的な環境、若者とお年寄り、都市と地方など、様々な社会的な要因もあるように思います。ここでは、親切心の尺度ではなく、親切心が現れる場面が違うところが、私にとってはとても興味深く感じたため、紹介してみました。
二つ目に、「大学院への思い」が違うことです。
これに気付いたのは、早稲田大学ICC(異文化交流センター)で、ポスター発送という研修をしているときです。早稲田大学商学部の建物の掲示板で、とても面白いポスター(以下の写真)を見つけ、写真を撮りました。
撮りながら「悪魔の誘いだね」と言ったら、ICCで一緒に働いている日本人の友達や職員の方から、その理由を聞かれました。私がそのように言った理由は、韓国では大学院に対してとてもキツイというイメージがあるからです。韓国では、先輩から大学院への進学を進言された場合に、冗談半分に「悪魔のささやきはおやめください」もしくは「私のことを嫌っていますか?」と聞き返すほど、大学院への進学は険しい道を歩むものだと認識されています。研究や勉強が非常に大変だからのみならず、未だに指導教官の私用の頼みごとまで頼まれるケースもあるとも聞いています。そのため、韓国では、日本と同様に社会でより実践力が問われる理系の場合に大学院へ進学するか、もしくは、本当に学問を極めたい人だけが進学するケースが多いように感じています。それ故、私はあのポスターをみて、「ポスターの人は仏のような顔で悪魔のささやきをしているね。本当の自分を隠している。それとも、既に大学院に行って大変なことを多く経験したため、悟っているということかな?」と思いました。一方で、日本での大学院は、韓国と同趣旨の高い志をもって進学する方が主だと思いますが、他方で学部時代には就職活動を含め、将来の明確なビジョンが描ききれず、曖昧な立場となり、自分探しのために進学する方も一定数いると聞いたことがあります。なお、日本国内ではコンプライアンスやハラスメントに関する意識の昨今の高まりもあって、韓国の一部のような「指導教官による私用の頼みごと」はあまりなくなったとも聞いており、その点については良いことだと感じています。
三つ目は、「大学で力を入れること」が違うことです。
大学生であるため、両国の大学生に最も要求されることは「学業」である点に違いはありません。しかしながら、日本では学業成績よりも「広義の経験」を重視しているように感じます。一方で韓国では、「経験」を大事にしつつも、より「学業成績」も重視する傾向が強いと思います。
また、なにより、両国とも大学生は様々な新しい「経験」が要求され、最近、日本も変わってきているとは聞いていますが、求められる経験の種類に違いがあるように感じています。
韓国で重視される「経験」とは、インターンシップ、例えばビジネス関連の大会や小さい規模での起業などです。一方、日本での「経験」は、「サークルや部活動等」での活躍を含めて重視する傾向にあるように思います。つまり、韓国では「これから会社で働ける能力が身に付けられる」経験、日本では「本当に新しい経験、それに基づいてどのような状況に置かれても臨機応変に対応できるような広範な力や調和できる能力が身に付けられる」経験を求めているように私からは見えます。
もちろん、文化だけではなく、言語も似ているようで似ていないこともあります。例えば、取り乱す様子を表現する言葉が挙げられます。韓国でその様子を「미치다(ミチダ)」と表現し、それほど悪口となりませんが、日本では友達から「それは使ったらダメだよ。どこで学んだの?」と注意されたことがあります。他の表現を使った方がいいとそのとき教えられました。日本と韓国で同じ意味に見えても、捉え方や使い方が異なるものがあるのだと気づいた瞬間でもあり、言葉も時代や文化的背景、社会的な意識の変遷を経て日々変わってきていますが、色々なことに気遣いや配慮が必要であることを学びました。
さらに、「お疲れ様です」との言葉は声掛けする対象者を選ぶ気がして、なかなか馴染めません。韓国での「お疲れ様です」は「수고하셨습니다(スゴハショスニタ)」ですが、これは目上の人に言ったら行儀悪いと言われることが多々あります。最近は、柔軟になってきている気がしますが、過去に韓国のバイト先で「お疲れ様です」と言って𠮟られたことがありました。韓国では目上の人に「スゴハショスニタ」と言うと、日本でいうところの「ご苦労様です」的なトーンに受け取られ、自分より見下している気がして、心象がよくなくなります。日本でも、例えば、特に親しくない社外の目上の人に「お疲れ様です」と使うことは憚れると聞いており、日本の中でも韓国での柔軟化の動きと同様に揺れがあるのだと思いますが、その為、日本に来てICCで働いている今も、中々「お疲れ様です」との声掛けをすることに馴染めず、口に出せません。頑張って言えるようにしてはいますが、習慣になっているためか、なかなか罪悪感が消えません。
これまでに紹介した違い以外にも、日本と韓国の間には多くの違いがあります。例えば、道を歩くときやエスカレーターに立つときに、左側に立つ日本と右側に立つ韓国。スターバックスコーヒーでもアイスアメリカ―ノとアイスコーヒーに違いがある日本と、同じ韓国。早生まれが主に3月生まれまでである日本と2月までである韓国など。
最も似ていると言われる両国ですが、細かいところでは全く違うことに気づきます。そんな違いに気づいた時、その違いが何故生じているのか、ちょっと立ち止まって、社会的・文化的背景を考察すると、両国を見る新しい視点がひらけるかも知れませんね。
Yujin (ICC Student Staff Leader)
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