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可愛ければ大丈夫? ワセジョの体験

更新日:2022年8月9日


©sketchify via Canva.com


大学に進学してから時折違和感を感じることがあります。女性の性的モノ化、有害な男性らしさの強制。はっきりなにか経験するわけでなくても、何気なく「あれっ」と思うことが読者のみなさんもあるのではないでしょうか。


サークルの中で、男性が女性を外見や愛嬌などさまざまな基準でランキング付けしたり、女性の先輩が「女じゃない」と面と向かって言われたり、男女グループでご飯にいく時に顔が可愛い子が男性の隣に呼ばれるたり、女性はあまり話さず、笑って配膳をしたり。それを嫌だと言えずにただ傍観していく日々。


この間それによって気分が落ち込んでいたのを姉に相談したところ、一方的に「性的なモノ」として扱われることがいかに異常なことかを指摘され、ハッとしました。そういった言動は私たちの「性的な側面」のみを考慮し、「人としての」私たちをみていないことの現れのように感じました。

(image WikiMedia)

スウェーデンでは


私の姉はスウェーデンの大学に進学し、そこでフェミニズムを学んで大きく変わった気がします。これまでそれほど自分の意見をもたず、人目を気にしておしゃれと化粧に夢中になっていた彼女は、今では女性の権利や教育制度についてディスカッションし、自分が着たい服を着て、面倒くさいときはノーメイクで出かけるようになりました。それは環境の変化だけでは説明できません。「自分のどこに価値があるのか」に関する考え方が変わったからだと思います。日本では外見や魅力に女性の価値の重きが置かれているように感じますが、スウェーデンでは、その人の人としての意見や考え方に大きな価値が置かれていると思います。


日本の女の子はすごく「躾けられている」と思います。見た目に気を使い、常に可愛くいるように。自分の意見を言わないように。例えば、以前それほど交友関係が深くはなかったサークルの先輩達に遊びに誘われたのですが、共通の話題があるのか不安になり、同期の女の子に相談してみたところ、「女子は可愛ければ、ただニコニコしてれば大丈夫よ」と言われました。私を安心させようとして発せられたそのセリフには、実は女性蔑視が含まれています。可愛くない女性に価値は無く、私たち自身の考えや性格ではなく、外見や性的魅力の部分のみが考慮されていると捉えられるからです。

©sketchify via Canva.com

かわいいには上下関係も


このように書くと、「女性もかっこいい男性が好きだから、男性が女性に可愛いを求めるのはお互い様でしょう」と反論する人もいるでしょう。しかし、ここでの論点はルッキズムの是非ではなく「可愛い」という言葉の性質です。上野千鶴子さんが東京大学入学式の祝辞で述べた内容を引用すると、「女子は子どものときから『かわいい』ことを期待されます。ところで『かわいい』とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです」(※1)女性が自分の意見を言わず、できることを隠すのは、相手を脅かす存在になってしまうから。つまり、かわいいには上下関係が前提にあると思います。


もちろん全ての人がそうではないし、女性にリスペクトを払う男性や自分を強く持てる女性もいることは理解しています。しかし女性を性的モノ化する風潮は空気のように浸透し、男性だけでなく女性も私自身も、時にはネタとして、時には伝統として捉え、全く違和感を持たない人が多いように感じます。これはとても危険です。その意識は痴漢や盗撮、セクハラ、DVなどの実質的な被害として現れることもある。そして、そうでなくても、私たちは価値を軽んじ続けられているうちに、無意識のうちに自分で自分の価値がそれだと思い込み、自分を低くみるようになってしまう。そのことも深刻な被害だと思います。


誰もがありのまま


その風潮を傍観しているだけでも同罪だと気が付いてから、フェミニストでありたいと思うようになりました。フェミニストというと私の身近にはあまり良いイメージを持つ人はいません。「KY」、「面倒くさい」と思われがちです。それは、女性も男性のように振る舞うべき、もしくは女性の権利の方が男性のよりも大切だという過激な考えを持つ人だと捉えている人が多いからでしょう。しかし、フェミニズムはもしかしたら「誰もがありのままに尊重されるべき」という思想なのかもしれません。その人が女性だから、男性だからこう振る舞うべきという偏見なしに、女性も男性も性別以前に1人の人間として対等に扱われるべきということだと捉えています。

©Keira Burton via Canva.com


上記の体験はたまたま「相手が悪かった」わけではなく、多くの人がそうしたことを経験したことがあると思います。「個人的なことは社会的なこと」という格言のように、その背景には社会的な構造があります。さらに、このような社会的構造は女性だけでなく、男性にも生きづらさを生み出します。例えば、女性は学歴がなくても良いという考えは、男性は学歴がなければ駄目だという圧力の裏返しです。また、男性は働き、女性は家にいるという固定観念は男性の「子どもと一緒に過ごしたい」、「家庭のケアをしたい」という願望も拒否することになると思います。このように、違和感を持たずに同調していくと、全ての人が生きづらい世の中になっていく。だからこそ、誰もが性に縛られないようにすることが大切であり、現在の空気のようになっている風潮を違和感を持った人:フェミニストが指摘していくことで社会は変わっていくと思います。


出典

※1:平成31年度東京大学学部入学式祝辞 上野千鶴子(平成31年4月12日)


エリン(ICC学生スタッフリーダー)

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