日本に来た留学生の私は、東京で既に四年間生活し、モダンな日本を日々感じてきた。しかし、実は、最初に日本に興味を持つようになったきっかけは、日本のおしゃれなファッションでもなく、世界的にポピュラーなアニメと漫画でもなかった。伝統的な日本、すなわち、和の文化だった。その「和」を満喫したく、一学期で溜まっていた疲れを癒すため、私は、この春休みの二月にイタリアからの気のおけない友人と二人で山陰地方に足を向けた。
まずは飛行機で広島に行き、広島からバスで島根県の松江に着いた。その日は小降りの雨で、松江には、薄霧がかかっていた。バスから降りて間もなく宍道湖に向かった。小雨の中、荷物を背負って、足早に急いでいた私達は、夕日を見たかった。
湿った髪の毛が巻けるのを感じた時、宍道湖が見え始めた。夕暮れの時間に間に合ったとはいえ、雨天のせいだったろうか、いつも写真で見るような金色の光に火を放たれたような湖面ではなかった。代わりに、雨雲が太陽を隠し、宍道湖全体を黒っぽいブルーに染めていた。木のベンチに座り、嫁ヶ島を眺めた。この島は大昔に宍道湖で溺れた若嫁の忘れ形見だと言われている。彼女は姑にいじめられ、冬の夜に実家に帰ろうとした。一刻も早く家に帰るために、凍った湖上を歩いた。しかし氷が割れ、彼女は寒い湖の中へ沈んでいった。湖の神様は彼女のことを哀れみ、島として浮かび上がらせた。これは伝説だが、実際、宍道湖近辺に子供や漁民の水難事件が多発していたという。多分、若嫁が溺れて亡くなったのも、本当にあったことかもしれない。多くの命がここで失われたことを考えると、この紺青色の湖と空に、細やかな冷雨はまさに神様が悼んでいる光景ではないかと思った。こうして、しばらくの間、メランコリーに浸っていた。
暗くなり、駅へ足を運び、晩御飯を食べに行った。松江駅近くの地元のレストランで、とても美味しい郷土料理をいただいた。口の中で溶けそうな食感を持つ柔らかいお刺身、鮮度抜群の生岩牡蠣、うま味たっぷりの宍道湖しじみに、またうま味に富んだ地酒が、舌先で絶妙なシンフォニーを奏でた。
食後はホテルにチェックインし、一晩、ぐっくり眠れた。
次の日は朝8時に起き、直ちに松江城に出向いた。二日目は快晴で温かかった。サングラスをかけ、歩幅は大きく。城下町に入ると、堀に沿う道、武家屋敷や「怪談」を著した大文豪・小泉八雲の旧居などが目に入り、濃密な歴史の微風が顔を撫でてくるように心を静めてくれた。階段をどんどん登っていくと、体が受信機のように何かを感知した。来た、次だ!次の角を曲がると、国宝の松江城の天守閣がそこに聳え立っていた。ラフな石垣、優雅な瓦、美しい!外国人のため、チケットを半額にしてもらえた。入口で靴を脱ぎ、登閣。日差しがあまり入らないので、木の床が氷のように冷たかった。スリッパを取り忘れた私達は、足から伝わってくる寒気をじんわりと感じた。それでも、頑張って松江城の内部を探索。そして、上に登っていった。最上階では、再び暖かい光に体を巻きつけられた。温められた木の床に、足をくっつけ、松江市を見下ろした。右手を眉毛のところにかけ、目線を遠くへ射、また嫁ヶ島が目に入った。その島は今明るい日差しに浴び、周りの湖面は生きているかのように煌めき、後ろの山々は幻の布を身に纏っていた。現実か、夢の世界のようだった。
その後はカレーのランチを食べ、城下町を少々散策。そして、出雲市にむかう電車に乗った。宍道湖の北か南かを沿うように路線は二つに分かれる。どちらの鉄道も宍道湖の輪郭を描いている。乗客が少ないため、気軽に電車内で歩いたり、外の美しい自然風景を思う存分楽しめた。
終点の出雲大社前に着いた。穏やかな空気が漂い、レトロな建築。国の登録有形文化財でもあるその駅に一目惚れ、そこで一休みをした。駅から出ると、「異国情緒」溢れて見える街並みに驚いた。
「これ日本らしく感じないのだけど」
「いや、むしろ、日本っぽいと思うよ。太古の日本っぽい。」 と友達が答えた。
太古の日本は大げさな言い方だと思うが、出雲大社に向かう真っ直ぐな上り坂、道端に守護神のようなプライド高き黒松にアスファルトと車、唯一無二の風景が目に映っていた。その風景を堪能しながら、出雲大社へ向かった。
手を繋ぐ楽しそうなカップル、笑い合う若い女性達、ベンチに座っているお年寄り、自転車に乗っている子供達。午後の陽は力強く世界を黄金色に染めあげた。
神社の正面入口にある「勢溜の大鳥居」にやっと着いた。他の方が敬虔に鳥居に対してお辞儀をするのを見かけ、慌ててお辞儀をし、鳥居をくぐった 。そして振り向き、鳥居を通して来た道を眺めた。
凄い。下り坂が遠方まで続き、その終わりと思われるところに巨大な白い鳥居が立っている。しかも、目の前の勢溜の大鳥居と相呼応しているかのように一直線である。実は、出雲大社は合計四つの鳥居があり、それぞれ石、木、鉄、銅と違う素材で作られている。全部くぐると幸せのご縁が早く来るらしい。
出雲大社の内部へ進むと、鯉が泳いでいる池、そして細長い川が流れる橋、道端で飾られている灯籠、樹齢400年を超える並木、さらに右方の芝生で戯れるウサギの石像が次々と目に入り、この神社の歴史、物語と平和を語ってくれた。拝殿に着いた時、心は止まった水に波紋を起こしたように、感動した。青色瓦、伝統的な木造、そして太い大しめ縄。出雲大社だ!大国主神が宿り、唯一「大社」と名乗るこの神社は、想像よりも大きかった。八雲山を背にして、左右と前には川が流れて、神聖な雰囲気を感じる。おみくじを買い、神様に吉凶を占って頂いた。
出雲大社から、稲佐の浜へ、夕日を見にいった。稲佐の浜は大社の西方向にあり、徒歩で20分くらいの距離だ。海と砂、ラッキーなことに夕日も綺麗だった。砂浜の上巨大な岩が聳え立ち、更に、岩の上に鳥居がある。現在は、その岩はほとんどの時間完全に砂浜の上にあるが、もともとは島だったようだ。古くは「沖御前」という名前であったことからも沖にあったことが伺い知れる。近年、砂が急に堆積したそうだ。
なお、日本全国では旧暦10月を神無月というが、出雲地域だけは、神無月と逆に、旧暦10月を神在月という。少し想像したら分かるかもしれないが、日本全国の神様は旧暦10月に出雲に集まるからだ。稲佐の浜はまさに神様達が出雲に上陸する場所でもあるのだ。稲佐の浜から出雲大社へ神様達が移動し、人々の「幸せ」のご縁について相談すると聞いた。出雲は、さすがに神々の国、ご縁の国だ。
日が完全に沈むまでずっとそこにいた。その後は駅近くで晩御飯を食べて、松江に戻り、一日を終えた。
三日目は夜に鳥取に向かうために朝早めに起きて、ホテルをチェックアウトし、松江にいる最後の時間を存分に楽しもうと考えた。まだ行きたいところは沢山あったが、時間が限られていたので、念頭にあった八重垣神社と月照寺に行った。最初は八重垣神社だ。
八重垣神社は松江の中心部よりすこし離れているが、ホテルからバスで40分で直結しているためアクセスは便利だった。また、中心部より離れていると言っても、人は結構多かった。スタンプ帳に楽しそうに神社の新しいスタンプを押す人を見かけ、いいなと思った。神社巡り、そしてその神社特有のスタンプを押してもらう。それが旅行の記憶にもなり、何かを集め、何かを達成する欲望をも満たしてくれるのであろう。提灯が昼間にも関わらず光っていた。拝殿はシンプルだがこぢんまりしていた。そこに、厳粛な感じを受けた。拝殿右側にある神札授与所で御神籤を買った。ここの御神籤は他の神社と異なり、ほぼ白紙だった。神様に占って頂きたいのに、どうして白紙なのだろう。その謎を抱えながら、「御神籤」の紙をもって、拝殿左側奥に進んでいった。橋を渡り、梅が綺麗に咲いていた。隣の見ず知らずの女性のグループは梅に惹かれたようで、一人の女性がカメラを持って梅に近づき、写真を撮りに行きながら、友達に「花を撮っている私を撮って」と告げていた。私もつられて、そんな彼女の姿を撮った。更に前に進み、妙に人が集まっていた。
そこには綺麗な池があった。鏡池と言い、稲作を司る女神、稲田姫が鏡として使われていたそうだ。白紙の「御神籤」はここに来て初めて威力を現すのだ!なるほど、その御神籤にコインを乗せて、そのまま鏡池に入れると、占いの文字が現れた!そして、御神籤が早く沈んだら、良いご縁が早く来るらしく、近くで沈んだら、縁のある人が身近にいるという。鏡池に囲むみんなは、自分の御神籤が沈むのを楽しみにしながら待っていた。じっくりと御神籤を見ている人達は、まるで愛する人を見つめるような光景だった。ちなみに、私の御神籤はそう遠くには行かずに、実に早く沈んだ。
次に八重垣神社を出て、月照寺に向かった。松江城に戻り、そこからまたバスを乗り換える。松江城に着くと、雨が降り始め、「あ、アンラッキーだな」と心の中で唱えた。月照寺に行くために「ぐるっと松江レイクライン」に乗った。とてもデザインがかわいいバスで、有名な観光名所などを繋いでくれる。乗り放題の一日乗車券と二日乗車券も販売され、観光には、非常に便利だ。
雨の中、月照寺に到着した。青苔に覆われた石畳は、湿っていたからさらに緑に見えた。書院の受付の方が大変親切で、外国人割引をして頂いた。簡単な案内を受け、月照寺を探索した。本当に大きなお寺だった。山と壁に囲まれ、静寂で雨の音しか聞こえなく、現代社会と切り離されているようだった。雨のおかげで、フレッシュな草や木の香りが漂い、脳にニコチンの何倍もの快楽感をもたらしてくれた。木造のお寺、石畳、竹林、そして雨が降っている古刹。松江旅行ではなく、時間旅行している錯覚をえた。あちこち歩いて、徳川家康の子孫でもある松江藩初代から九代までの藩主のお墓を拝観し、いろいろ興味深かく、充実した時間を過ごした。第六代藩主の廟所には、なぜか巨大な石碑が置かれている。更に不思議なことに、その石碑の台座は、度を越しているほどの巨大な亀の石像である。日本民俗学者の小泉八雲が著した『知られざる日本の面影』には、この亀にまつわる伝説が書かれている。月照寺の池に暮らしていた亀は夜になると、大きくなって城下町で人を食い殺していた。住職は、藩主の功績が彫り込まれた石碑を建てることでこの亀の行いを封印したとされている。今もその池には亀が暮らしている。この石亀の大きさを見てると、なんとなく背筋が伸びた気がした。ルートに沿ってぐるっと回って、また最初の書院のところに戻った。受付の方に書院の中にも案内いただき、椅子まで用意して頂いた。抹茶とお菓子をいただいた。外の庭園を眺めながら、雨粒の演奏のもと、美味しい一服となった。
とうとう月照寺にグッドバイをする。受付の方と気軽な会話をして分かったことは、雨の月照寺が有名だとのこと。その日はラッキーだった。梅雨の頃になるとアジサイが咲く、夏だったら池の蓮が綺麗等々。また違う季節にここに来たいと決めた。
松江駅で電車を待つ。島根の旅は終わりを告げた。まだまだリストにある沢山の行きたい場所には行けずじまいだったが、行けた場所はすべて素晴らしい思い出をくれた。またまた来るから。さて、次は鳥取に!
Q.Z. (Student Staff Leader)
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