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執筆者の写真Rin

迫真お散歩部 国内旅行の裏技

السلام عليكم !


最近アラビア語の勉強をサボりがちな、ICC Student Staff Leader(SSL)のレヴィア(Levia)ことR.T.です。日々の学習と就活に追われながら、残り少ない大学生活を有益にするために図書館で本を漁って知識を深めつつ、時間をみつけては趣味の水族館巡りに没頭しています。


さて、今回のブログのテーマは、散歩です!


みなさん、散歩は好きですか?私は大好きです。そもそも「散歩」とは何かという定義にもなりますが、私にとっての散歩とは、日常の余計なことを一切考えず、ただただ景色を味わいながらのんびりと歩くこと。現代社会において、我々が「自然」だと思い込んでいるような手付かずの自然界はほとんど存在せず、何かしらヒトの営みが関連した結果こそが自然として存在しています。そのような自然、人間の営み、生きている実感、すべてを噛みしめて悠々と歩いている瞬間が、私にとっての最高の娯楽だと考えています。もちろん運動にもなりますし、交通費の節約になることは、貧乏学生にとってもありがたいことです。五体満足で自由に歩けるという天運に感謝しながら、今日も今日とでふらふらと歩き続けています。


そういうわけで、私が訪れたお散歩スポットのうち、イチオシのいくつかを紹介したいと思います!日本は興味深い地勢がいたるところにあり、どこを歩いても魅力的な景色が待っているのですが、すべてを紹介するには余白が足りません。そこで、いくつかの観点から総合的に評価してピックアップし、私のイチオシお散歩スポットの魅力を語っていきたいと思います。


念押ししますが、この文章はただのブログです!単に、私の私による私のための備忘録でしかないのですが、もしよければ、みなさんの旅行の参考になればと思います。そして何より、私は地質学や工学については門外漢の初心者でしかありません。所々間違った説明や奇妙な解釈を繰り出すかもしれませんが、面白半分に読んでいただければと思います。



富山県中新川郡立山町の中部山岳国立公園

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我が地元・富山県は自他共に認める田舎です。しかし、田舎であるということは、すなわち絶景のお散歩スポットを各地に抱えているということでもあります。とりわけ、富山湾と立山連峰の風景は筆舌に尽くしがたい美しさがあります。「世界で最も美しい湾クラブ」というNGOに認められた海が日本にはあり、日本三景の宮城県・松島湾と京都府・宮津湾、西海国立公園は長崎県の九十九島、富士山を望む静岡県の駿河湾、そして我らが富山湾が該当します。私はどれも訪問しましたが、確かにそれぞれの良さがあることは間違いありません。それでも、やはりイチオシは富山湾です。碧い海と白く彩られた立山連峰のコントラストは、得も言われぬ絶景であります。その立山連峰は、富山県のどこにいてもその姿を望める特別な存在で、いわば富山県民の精神的故郷です。お散歩したい気分になったときは、その3000m級の山々を、遠方からではなく間近に体感しに行きましょう。


本日は電鉄富山駅からお散歩。富山地方鉄道は全長100kmを超える総延長を保有している、呉東地域の人々には馴染み深い地域の足です。往年の全国の列車を魔改造した車両が現役であったり、中小私鉄ながらダブルデッカー車両が走っていたり、平野部に凄まじい秘境駅があったりと、独特の雰囲気を味わえることが魅力です。まずは立山駅へ向かいましょう。秋の収穫時期前の田畑がつくる景観は見事な美しさであり、一転して山間部に入ると、常願寺川がつくりだした大迫力の溪谷が眼前に現れてきます。ここまでは普通の鉄道旅ですが、この立山駅より先は雰囲気が一変、世界有数の大規模な山岳観光ルートである「立山黒部アルペンルート」へと突入です。


まずは、立山駅でケーブルカーに乗り換え。標高475mの立山駅から標高977mの美女平駅へ、わずか7分で駆け上がります。ケーブルカーは日本全国にありますが、山岳地帯を旅行していることを感じさせる醍醐味のひとつであり、私の大好物のひとつです。この美女平駅からは、高原バスへと乗り換え。立山登山の玄関口である標高2450mの室堂まで、50分のバスの旅です。車窓からは富山県民には馴染み深い名所たち、すなわち称名滝や弥陀ヶ原、天狗平が見えます。次第に植生は高原のそれへと変化していき、都市の喧騒とはかけ離れた幻想的な領域へと足を踏み入れていくことが実感できます。室堂に到着すると、3000mを超える雄大な立山連峰が眼前に聳え、圧倒的な迫力を感じずにはいられません。室堂からはトロリーバスやロープウェイ、ケーブルカーや路線バスを乗り継いでアルプスを縦貫し、最終的には長野県大町市まで進むことができます。しかし、今日は県内の実家に帰らなければならない日帰り散歩なので、この室堂周辺をゆっくり散策しましょう。


気になるスポットはいくつかありますが、まずはオススメされた散歩コースを進みましょう。遊歩道に入って見えるハイマツ類の群生は、高原地帯にいる実感を高めてくれるものです。この遊歩道のハイライトといえば、ミクリガ池やリンドウ池などの火山湖群。美しい湖と圧倒的な迫力の山々、そして森林限界の高山植物や動物たちを、五感で味わうことができる場所です。さらに足場を眺めてみると、安山岩質の火山岩。進入禁止の遊歩道の奥には、蒸気と硫黄ガスが立ち込める地獄谷があり、まさにここが火山であることを我々に強調しています。氷河がつくりだした地形は美しさと力強さを兼ね備え、日本で唯一氷河が発見された場所でもあると、目で見て合点がいくものであります。こうした自然の風景に満足することもさながら、この地に人びとが築き上げてきた文化の跡も、また感動を与えてくれるものです。この地には古くから立山権現信仰が根付き、多くの修験者たちが集まり登山道を整備してきました。そのひとつが「室堂」であり、その他にも塚や祠も点在しています。先人たちの遺物に触れ、彼らの感動を追体験できるような、素晴らしい散歩でありました。



群馬県甘楽郡下仁田町のクリッペ

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2020年に放送された地学系テレビアニメ『恋する小惑星』を観て以来、私は地質学に興味を持っています。自分の周囲に満ち溢れている自然の要素ひとつひとつに耳を傾けることができるようになり、散歩に行く際の視野が広がった感覚が確かにあります。私が地質の特徴を学ぶうえで重要だと考えているのは、同じ性質の地質が連続する地質帯や層群の存在です。これらの特徴を少しずつ本や資料で学び、現地で確認し、身に付けていく。とりわけ、フォッサマグナと中央構造線は、最低限理解しておきたい要素だと考え、しばしば観察に出かけています。とはいえ、やはり門外漢の身である私にとっては、とても難しい学問にあることは変わりありません…。苦悶しながら、今日も今日とで現地調査に向かいましょう。


本日は高崎駅からお散歩。賑やかな高崎駅のホームの一番隅に、小さなローカル線のホームがあります。この上信電鉄は高崎市と甘楽郡下仁田町を結ぶローカル線で、路線全長は約34km。まさに田舎の鉄道といった車窓が続く路線ですが、沿線には世界遺産・富岡製糸場と絹産業遺産群を抱えており、なかなかの知名度を誇っています。富岡製糸場には後ほど行くとして、まずは終点の下仁田駅に向かいましょう。かつての沿線計画や貨物取扱の歴史を感じさせる、広々としたターミナル駅です。ありがたいことに、本駅からは無料の自転車貸出を行っているとのことなので、それを借りてお散歩開始です。


さて、今回の旅の目的地は特に定めていません。この下仁田町全域は「下仁田ジオパーク」に指定されており、至る所で地質学的に興味深いものを観察することができると聞いていました。案内板を頼りに、気になる地形をふらふらと観察しに行こうというわけです。とはいっても、繰り返しになりますが、私は地質学についてはド素人です。まずは必要な事前知識を、下仁田町自然史館で学びましょう。本館は廃校となった小学校を改装した施設であり、その雰囲気の良さもさることながら、館内の展示内容とその工夫が素晴らしい。一目見ただけで伝わってくる、入館料200円とは思えないほどの高いクオリティの展示に興奮を抑えきれません。第一に得た知識として、町の中心地を東西に分断するかたちで大きな断層が横切っており、その南北で地質が全く異なっているそう。これこそが中央構造線であり、その南縁地域に分布する三波川変性帯の緑色結晶片岩、いわゆる青岩が顕著に露出しているとのこと。そして、三波川帯の岩石は海溝の沈み込み帯にある堆積物が大陸地殻に付加されず、さらに深く沈み込んで低温高圧の変成作用を受けた岩石です。すなわち、同地には付加体や花崗岩のみならず、かつての海の名残であった地層、たとえば海成堆積岩や石灰岩ブロック、さらには化石まで産出するとのことで、非常に稀な地質であるということが伝わってきます。極めつけは、鏑川沿いに見えていた大崩山という特徴的な外観の山、これらがクリッペ(根なし山)という地形であるとのこと。簡単に言うと、山が別の場所から移動してこの場所にやって来て、さらにその下部が河川の作用で浸食されてできた地形です。理論だけでは信じがたいですが、付近にはその証拠となる露頭があるそうです。気になりますね!


以上、十分な知識を詰め込みましたので、直接現地で、五感で体験しに行きましょう。小学校跡から川辺に降りてすぐ、件の露頭がお出迎えです。ここが根なし山の境界線とのことで、周囲の穏やかな自然環境も相まって得も言われぬ興奮を感じます。付近の青岩公園では、緑色結晶片岩が顕著に露出しており、写真で見るよりもずっと青く、独特の景観を形成しています。しかしながらしかし、そのほかにも断層など有名な露頭を観察しましたが、現時点での私の能力ではよくわからないですね…。知識不足と経験不足を実感することができた、よいフィールドワークでありました。



兵庫県朝来市の生野銀山

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兵庫県といえば、やはり150万都市である神戸市や、世界遺産姫路城を有する姫路市がある、瀬戸内側のイメージが強いかもしれません。しかし兵庫県は南北に大きく、北には日本海、中央には中国山地を構えて南には瀬戸内海と接して淡路島もその県域に含んでおり、「ヒョーゴスラヴィア」と揶揄されるほど地域ごとの個性差が大きいと言われています。旧令制国下では摂津国、丹波国、播磨国、但馬国、淡路国、備前国、美作国がその領域にあり、現在では10の出先機関のもと41の行政自治体があります。瀬戸内海から中国山地へ向かっていくと徐々にその光景は田舎のそれとなっていき、都市部の喧騒から離れた雄大な自然を体感することができます。今回行くのは兵庫県の心臓部、姫路市を河口に持つ市川の上流域です。


本日は生野駅からお散歩。朝来市の観光案内所でレンタサイクルを借り、オオサンショウウオが生息しているという清流・市川の付近を進んでいきましょう。しかし、真夏の昼の炎天下、穏やかな川沿いを自転車で進んでいるといっても、暑くて仕方がありません。暑さの鬱憤を美しい景色で癒しつつ、寺社が多く立つ伝統的な町並みを抜けた先には、徐々に鉱山関連の施設が目に付くようになります。それもそのはず、この生野のまちの発展には鉱山が重要な役割を果たしました。さあ最後の登り坂を踏破し、目的地である史跡生野銀山へ到着です。生野銀山は大同2年(807年)に銀が出たと伝えられる古い由来をもち、織豊期の本格的な発掘を経て、江戸時代には幕府の天領となりその財政を支えてきました。明治元年(1868年)には初の官営鉱山となり近代にかけての日本の発展を長らく推し進めてきましたが、昭和48年(1973年)に閉山。その遺構が現在では観光坑道として整備され、その歴史と文化を今に伝えているわけです。


いざ入洞…の前に腹ごしらえをしましょう。炎天下でのサイクリングは、さすがに体力を使いました。観光鉱山に来たのは、半年ほど前に愛媛県新居浜市にある別子銅山を訪問して以来のことで、うどんを食べながら想い出に浸ります。あの時はカレーうどんでしたが、今日は山菜うどんの気分。やはり、鉱山はうどんに限ります。さて、入洞しましょう、目の前の山体にレンガ造りの隧道が穿たれ、そこから全長1km近い坑道を歩くことができます。坑道内の気温は10℃前後と非常に寒く、外気温との温度差と相まって寒くて仕方がありません。しかしそれも一興、非日常的な坑内の情景は私の気持ちを昂らせます。大迫力の自然の創造と、それに果敢に挑んだ先人たちの歴史を目の当たりにし、独り得も言われぬ感動を覚えたと記憶しています。さまざまな展示と独特な光景がずっと広がっていて、文字に起こすことは難しいですが、神秘的な40分間の体験でありました。さて、坑口脇からは後背の山間へ分け入ることができ、そこにも鉱山遺跡があるとのこと。せっかくなので進んでみると、静かな…と思いきや、節足動物たちの命の脈動に恐れおののくほどに虫が多くてセミたちの合唱も騒がしく、心穏やかではありません。大規模な露天掘の跡や顕著な断層の露出層は興味をそそられるものでありましたが、一目見てそそくさと踵を返してしまいました。これはこれで、忘れられない夏の想い出となりました。



千葉県市原市の川廻し

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千葉県の人口は北部の平野部に集中しており、房総半島中南部に行くと典型的な田舎の風景を垣間見ることができます。その中でも上総丘陵の地形は特徴的で、激しく蛇行する養老川や小櫃川の氾濫地が河岸段丘と谷底平野を形成し、日本で最も平均標高が低い都道府県ながらも、随所で素敵な峡谷地形とその高低差を味わうことができます。地質学的にはフォッサマグナ内にある新しい地層で、更新世中期ごろに堆積した海底堆積物が伊豆弧の衝突にともない大規模に隆起したために、露頭では砂泥互層が明瞭に観察できます。このような興味深い地勢の中で人々は生活を営んできたわけですが、そこにさらに人々が手を加えることで、日本でも房総半島にしか例のない地形が生み出されることとなりました。


本日は大原駅からお散歩。JR東日本の路線はこの先も房総半島を海沿いに一周するかたちで伸び続けていますが、一方で房総半島を横断するローカル線もあります。そのひとつはいすみ鉄道、新宿から特急で1時間ちょっととは思えない場所に、一時代前のディーゼル車が走っています。長閑な田園風景を走って数十分、すれ違い待ちの停車中に面白い光景を目撃しました。地元の商工会の方?が駅弁とポップコーンを販売しに、わざわざ車内までやって来たのです。この日は明らかに観光客が多い車内のようすではありましたが、こうした地元の暖かさに触れると思わず嬉しくなってしまいます。鉄道が交通の覇者であったのは前世紀のことで、いまでは各地で廃線が相次いでいることは事実です。しかし、鉄道を中心に発展したまちの歴史があり、地元の人の足として活躍しているいまを見ると、末永く存続してほしいと感じました。


前置きが長くなりましたが、いすみ鉄道から乗り換えて小湊鉄道養老渓谷駅に到着。自転車を借り、南に3㎞ほど歩みを進め目的地へと向かいます。自転車でのぼるにはそれなりにしんどい勾配であり、壮絶な段丘地形が眼前に広がっているということを感じずにはいられません。川面へと下っていき、その創造主である養老川とご対面。深い谷の中に流れる清流の情景、実に素晴らしいです。さて、川沿いの遊歩道を歩いてしばらくの場所に、目的の物件があります。ここが弘文洞跡、上総丘陵に点在する特有の地形:川廻しがかつて存在した場所です。川廻しとは、簡単に言えば川のトンネルです。より詳しく言うと、河川の蛇行の進行に伴っておこる現象で、川の蛇行が極限まで達した場合にそのくびれ部分がちぎれ、バイパス状に短くつながってしまう自然発生的なパターンと、曲流の進んだ地形を利用し、くびれ部をバイパスとしてつないでしまう人工的なパターンとがあります。特に興味深いのは後者のケースで、人々が生活を営む中でその便宜のため、柔らかな砂泥質の地盤と比較的緩やかな川の流れという自然の条件をうまく活かして創り出した地形であるのです。その中でも弘文洞の川廻しは大規模なもので、養老川の支流である筒森川を短絡するために掘削されました。しかしその上部が崩落したことで、現在では、単に渓谷の中にある川の分流点のようになっています。これはこれで迫力のある光景ではあるのですが、やはり現役の川廻しも見てみたい!


ということで、再び小湊鉄道に乗り月崎駅で下車。チバニアンの模式地があるということなので、まずはそちらに向かって地磁気の逆転層を堪能。地質・エモ風景でした。さて、駅側に踵を返し、素敵な手彫り隧道を通って如何にもな森の中に突入。この林道沿いに件の川廻しの入口があるということを、ご近所のおばさまから伺いました。そこそこ迷いつつ、小さな張紙を発見。「里山のパワースポット 浦白川のドンドン」…。ただの藪じゃないか…。山蛭に怯えつつ、轍も見えない場所をなんとか掻き分けて進んでくことにします。徐々に水音が大きくなり、不安が期待を上まってテンションは高まっていくばかり。最後に竹藪を突破して、ようやく川岸に到着。眼前の光景は、今までに見たことがない類のものです。先ほどまで歩いていた林道、その隣には小湊鉄道の線路が走っているのですが、その直下をまさに川廻しの隧道が貫通しています。その反対側には、ありきたりというには勿体ないほどの清流と渓谷の美しさ。あまりにも異色な川廻しの姿と水流の轟音は、私に興奮を与えてやみません。いつまでも見ていたいと思えるような、唯一無二の素晴らしい景色でありました!



徳島県吉野川市の善入寺島と潜水橋

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徳島県を東西に流れる吉野川は日本三大暴れ川にも数えられる大河川で、流路延長194km、流路面積3750㎢、河口近くにあるケーブルイグレット構造で有名な阿波しらさぎ大橋付近に行くと、その川幅の大きさにも驚かされます。また、徳島県の地図を眺めるとよくわかりますが、徳島県は一部の海岸沿いを除いて吉野川沿いに市街地が集中しており、まさに恵みの川といった印象を受けます。しかし、しばし教科書などでも目にするように、日本の川は流れが非常に急です。吉野川ほどの大河川ともなると、人々は一方で水害と戦い続けることとなり、干拓事業や堤防設置、現在では交通の便のための橋梁建設など、川沿いを歩くたびにさまざまな戦いの歴史を見て取ることができます。そんな吉野川にはるばるやってきた理由は、ある特徴的な「橋」を見に行くためです。


本日は徳島駅からお散歩。お台場からの船旅の興奮が冷めない中、徳島線の特急に乗り、阿波川島駅で下車。駅近くには復元天守閣の川島城があり、まちの雰囲気は穏やかな城下町といったようす。川島城を横目に直進してしばらくすると、大きな堤防の向こうには蛇行する大迫力の吉野川が見えます。そして、対岸には阿波市の街並みを望む一方で、正面には吉野川を堰き止めるかたちで広大な川中島が。この善入寺島は日本最大の川中島、あるいは中州と呼ばれる地形で、上流から運び込まれた土砂が川の中で堆積して島状の土地を形成しています。かすかすじゃないです!本日の目的地は、この善入寺島を結ぶあまりにも特徴的な橋、川島橋です。橋を一目見てわかるその特徴は、欄干がないこと。こうした形式の橋は、我々がイメージする通常の橋、すなわち永久橋と対義的に沈下橋・流れ橋などと呼ばれ、増水時には川の流れとともに流されることを前提としているという、実に潔い構造をしています。現代でもしばしば洪水時に永久橋が流されているというニュースを目にすることがありますが、そもそも土木技術が未熟な時代には洪水に耐えられる橋を造ることは難しく、再建の容易さや費用の低廉さも含めて、こうした形式での架橋が広く行われてきました。どうやら四国にはこうした沈下橋が散在しているらしく、次の日に高知県の四万十川を散歩しに行った際も、同様の橋たちと出会うこととなります。また、「沈下橋」の呼称には地方差が大きく、沈下橋は特に高知県、全国的には潜水橋や潜り橋が一般的で、関東では冠水橋や地獄橋とも呼ばれます。


いざ渡橋!言うまでもなくとても狭く長い橋で、車一台がなんとかすれ違える程度の広さしかありません。途中にある待避所は自動車ではなく歩行者・自転車用のものであり、対向車がいる場合は渡橋前に確認して退避している光景を目にしました。予想以上に交通量が多く驚いたのですが、どうやら第10番札所切幡寺と第11番札所藤井寺のお遍路道となっているとのことで、まだまだ現役として活躍しているようです。そしてなにより、欄干なしの橋で吉野川ほどの大河川を渡るという経験は、独特の興奮を覚えます。目の前に迫る河川の流れ、垣間見える人の営みと、そこに足を踏み入れるという非日常さ。近年では潜水橋から永久橋への付け替えが進んでいるとの話をよく耳にします。ぜひ、みなさんの近所の潜水橋がなくなってしまう前に、この感動を味わってみてください!



奈良県高市郡明日香村の古代遺跡

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奈良県の飛鳥は、日本史に興味のある人ならば誰でも知っている、古代日本の中心地のひとつです。かつての都がこの地に設けられ、有力者たちが造った寺社や墓は今もなお残っており、さらには歴史を動かしたような政治的事件の舞台ともなっています。かねてからの歴史好きである私は、この飛鳥の地をじっくり旅したいと考えていたのですが、なかなか機会がありませんでした。しかし、聖徳太子1400年遠忌である2021年、近畿一帯にある聖徳太子ゆかりの寺院をぜひとも訪問したい、それならば飛鳥のロマンをも味わいに行こう。そう思い至ったわけです。


今度は近鉄飛鳥駅からお散歩。あさイチで自転車を借りに来た平日の明日香村、人の往来はほとんどなく、実に閑静な雰囲気です。まずは進路を南に向け、かの有名なキトラ古墳を見に行きます。いきなりの登り坂で汗をかき、しかも道に迷って冷や汗もかきました。キトラ古墳の壁画は東京国立博物館での特別展で見たことがあり、実に7年ぶりの再会です。観光客も修学旅行生も遠足学生もほとんどいないラッキーな日で、ゆっくりと展示や解説を眺めることができました。さて次は、同じく有名な壁画古墳である高松塚古墳へ。確かに、歴史好きとしては「教科書に載っていたあれを見たい!」という理由から古跡を訪問することはしばしばあります。しかしその一方で、古跡とはすなわち歴史遺産の維持・保存のための最前線でもあります。こうした認識は、ただただ歴史の本を読んでいるだけだとしばし忘れてしまうことですが、この高松塚古墳では、そうした保存活動の難しさと取り組みの大切さを実感することができる、素晴らしい展示内容よい経験でありました。


それでは、また自転車をこいで次の目的地へ。長閑な田園風景を眺めながら、聖徳太子に縁のある橘寺へ向かいます。道中にはそれなりに小高い盛土やちょっとした林があり、どれも古墳に見えてきてしまうので不思議です。微高地に立つ橘寺は聖徳太子生誕の地とされており、こちらも穏やかな雰囲気に美しくも壮健なお堂が立ち並んでいます。連日の聖徳太子の足跡巡りで心の仏道が昂る中、ご本尊と対面し厳かなお堂の雰囲気を独り占めできるのは、田舎旅の醍醐味でもあります。さて、橘寺から南に下ってしばらく、左手には甘樫丘を望む地に、飛鳥板蓋宮跡地があります。今日では本当に跡地でしかありませんが、ここがまさに古代日本の中心地であり、乙巳の変が起きた歴史的な場所です。数百メートル先の蘇我入鹿首塚を見て、そうした歴史ロマンの実感がいっそうこみ上げてきました。その首塚から振り返って、我が国最古の仏像が安置されている飛鳥寺を訪問します。その釈迦如来像の趣といったら、筆舌に尽くしがたい素晴らしさであり、私の心をもこの地に掴んでいきました。


お昼ご飯の時間です。やはり田舎はうどんに限ります。名物の葛餅も食べます。人生初の葛餅、独特の食感を楽しませていただきました。せっかくなのでソフトクリームも食べちゃいましょう。イチゴの季節を感じる、よいイチゴ味でした。さて、奈良文化財研究所飛鳥資料館で知識を深めたのち、再び南へと歩みを進めます。かねてから気になっていた石舞台古墳の佇まいは、こちらもまた別の種類の感動を体験することができました。ここで帰途に就こうかと思ったのですが、看板には棚田の案内が。せせらぎの水の音に誘われて、さらに自転車をこいで棚田まで足を運びました。道中にはさまざまな塚や祠などがあり、盆地から山間部へ分け入る地に残る農耕習俗は、長きにわたる人間と自然とのつながりを実感させる美しさでした。改めて歴史の奥深さを体感することができる、よい旅となりました。



埼玉県秩父市・秩父郡長瀞町の荒川上流域

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水の流れというものは本当に不思議です。時として柔らかく時として力強く、生物の生命維持には必要不可欠な恵みである一方、荒々しい水の勢いは神の如く大地を削り、また創り出してきました。私が最も好きな音、水が絶え間なく流れる音は、「癒し」を感じさせるほどの美しい音色をもっています。さて、国土地理院「日本の典型地形について」の「4.河川の作用による地形」のページを見ると、我が国にある河川地形の特徴とその分布がわかりやすく整理されていますので、ぜひ一読を。今日も今日とで地理院地図とにらめっこしていると、興味深い地形を発見。先ほどのウェブページでいうと、「河川の作用による地形」が集中している一帯です。直接確かめに行かなくては。


本日は寄居駅からお散歩。ここで秩父鉄道に乗り換えて、三峰口駅方面へ向かいます。埼玉県の秩父といえば、いまでこそ名の知れた関東圏の田舎であり、東京都心からアクセスが容易なことから、休日はいつも賑わっている印象を受けます。事実、秩父鉄道の車内もローカル鉄道とは思えぬほどの賑わいを見せており、休日のハイキングといった装いの方々がちらほら。激しく蛇行する荒川沿いに走るこの路線は、実際に何とも言えぬ田舎の穏やかさが素敵であり、いまでも蒸気機関車が走ることもあるそうです。さて、秩父鉄道親鼻駅で下車。下車したのは私ひとり、長閑な田舎駅の趣は私のテンションを高めます。奥に見えるのは埼玉県有数の名峰である武甲山で、完膚なきまでに山体を破壊された、明らかな石灰岩の採掘跡は、新潟県・糸魚川市や大分県・津久見市で見た光景と同じ類のものです。それはそれとして、せっかく川に来たのだから、川に行きましょう。荒川沿いの河川敷は三波川変成帯の顕著な露出がみられる場所であり、特徴的な結晶片岩が至る所に確認できます。有名なのはこちら、紅簾石片岩。マンガンを含むチャートなどからできた深紅色の美しい鉱物で、世界的にも珍しい岩石です。周囲には甌穴も散見されます。地質学的に見ても満足度の高い場所ですが、そんな学問的な知識を吹き飛ばしてしまうほどの、いい景色。正面に見える秩父鉄道の橋梁は、荒川に映える美しい情景でありました。水の音に耳を傾けながら、岩の上に座って数十分の休憩。何ものにも代えがたい、すがすがしい気分を味わうことができました。


しばし歩いて、埼玉県立自然の博物館に到着。廉価で中規模な博物館ながら驚くほどクオリティが高く、秩父一帯の地質や埼玉県の地勢などを幅広く学ぶことができました。何度も本ブログ上で述べている通り、知識があるかないかで世界の見え方は大きく変わってきます。こうした地域の博物館は、痒い所に手が届くような展示がされていることが多いので、オススメです。さて、満足な気持ちと新たな知識をもって、再び荒川河川敷を歩きます。転がっている岩石は河川域特有の丸みを帯びたものがほとんどですが、先ほどの河川敷よりもひとつひとつの岩が大きく、また水がいっそう足場を狭めていて非常に歩きにくい。轍のない藪の中を、ごろごろとした岩石という危険の上で歩き続けるものですから、夏に近づく快晴の下、虫除けスプレーを持たずに来るべき場所ではないと痛感します。早々に諦めて「道」のある場所まで引き返し、かの有名な長瀞渓谷に到着。荒川の蛇行と露出する独特な外観の岩石は、得も言われぬ自然の妙を惹起させるものでありました。関東圏にある、実によい田舎の情景を体験することができる一日でした。



北海道川上郡弟子屈町の活火山

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火山とは、地殻深部のマグマが噴出することによってできる特徴的な地形であり、盛り上がった「山」ばかりを指すものではありません。前述の「日本の典型地形について」の「2.火山の活動による地形」のページには、火山が創り出した特徴的な地形が整理して分類されていますので、必見です。さて、地球の構造上火山の存在する場所は限られており、日本はプレートの沈み込み帯にあることから、火山が集中して分布しています。長い地球上の歴史の中で、さまざまな火山が生まれ死んでいったのですが、気象庁によると、現在我が国には111の活火山があり、その定義は「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」としています。そんな火山は、人類に恵みを与える一方で致命的な恐怖をももたらすものであり、我々の自然観に根付き、現在でも実体として存在しているわけです。そして、今回訪れるのは、駅チカの火山物件です。


本日は川湯温泉駅からお散歩。川湯温泉駅のある釧網本線は網走と釧路を繋ぐ路線であり、その車窓は風光明媚の一言。オホーツクを望み、世界遺産知床半島を間近に控え、そしてもう少し進めば、かの有名な釧路湿原に突入します。穏やかな景色に魅せられて、田舎の無人駅に降り立ちます。駅前にはいくつか人家はあれど、人の往来は皆無です。まだまだ夏の暑さが残る時期でしたが、あいにくの雨のせいで寒さを感じます。なにより、北海道を散歩する際は、いつもクマの恐怖に怯えるものです。多少の不安を感じながら2kmほど歩いていると、いつしか景色は一変。標高500m程度の地点にいながら、植生が高山植物のそれで、ハイマツの群生が私の行く手を拒みます。そしてその奥には、噴煙を放つ独特の山体が存在感を主張しています。これが今回の目的地、活火山のアトサヌプリです。その名前はアイヌ語で「裸の山」を意味するようで、文字通り山体付近の草本は息絶え、安山岩気質の山体に硫黄の薄化粧と溢れ出す熱湯を確認することができます。第四期の新しい火山でありそれほどの大きさはないですが、曇天の空模様とあわせて、得も言われぬ不気味さを感じます。このアトサヌプリは、活火山のうち「火山防災のために監視・観測体制の充実等が必要な火山」として選定された、防災の観点から特に留意すべき50火山のひとつであり、まさに地球の脈動が感じられるスポットであるのです。


せっかくなので接近!近づけば近づくほど、硫黄のニオイは増すばかり。なるほど、この硫黄の毒性こそが土壌を酸性化させ、植生を変貌させた主因のようです。そして、随所から湧いている熱湯は、まったりできる「温泉」とは似つかないほどの熱気で火傷しそうです。実際に手を近づけてみたところ、熱さは70℃以上?80℃以下?くらいはありました。さらに振り返って周囲を見渡すと、左手には屈斜路湖、全体として緩やかな凹地状の地形を観察することができます。これこそが火山活動が生み出した地形、カルデラです。この屈斜路カルデラは日本一大きいカルデラであるとのことで、東西に約26km、南北に約20kmと、とてつもない迫力です。そろそろ冷えてきたので、しばらく川湯温泉の市街地に向かって歩き、足湯につかります。この足湯も、まさに火山がもたらした恵みであると思うと、体の芯まで温まるというものです。地球と火山のもつそのパワーの大きさを実感できる、いい散歩でありました。



茨城県南東部の霞ヶ浦

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「日本一の○○」というのはよく耳にしますが、「日本で二番目の○○」になった途端、急に知名度が下がります。ここで「日本で五番目の○○」くらいまで知っておくことで、友人とドライブに行ったときにマウントをとることができるので、大変オススメです。今回私が紹介するのは、「日本で二番目に大きい湖」である霞ヶ浦です。私個人の印象ですが、関東圏にあって都心からすぐのアクセスでありながら、茨城県民以外の知名度が壊滅的に低いように思われます。その霞ヶ浦は茨城県南東部に位置し、茨城県全体の三分の一を占める流域面積をもつ巨大な湖です。ちなみに、日本の湖の大きさランキングは、一位が琵琶湖(滋賀県)、三位がサロマ湖(北海道)、四位が猪苗代湖(福島県)、五位が中海(島根県・鳥取県)、六位が屈斜路湖(北海道)、七位が宍道湖(島根県)…と続きます。このうち、かねてからの湖大好き侍である私は、すでに霞ヶ浦とサロマ湖以外は踏破しており、サロマ湖も近いうちに行く予定であったことから、ぜひ霞ヶ浦を堪能してみようと思い立ったわけです。


本日は土浦駅からお散歩。特急も停車する立派な駅と駅前の賑わいからは、ここが県南地域の中心地であることを窺い知ることができます。まずは観光協会に行き、1日1000円でクロスバイクをレンタル。茨城県には「つくば霞ヶ浦りんりんロード」というサイクリングロードが整備されており、とりわけ霞ヶ浦ルートは湖岸沿いに平坦な道が続いているということで、サイクリストたちからも人気なのだそう。そんな噂を耳にしたので、今回は霞ヶ浦「ほぼ」自転車で1週に挑戦します。非電動で100㎞近くものサイクリング、はたして完走できるのかどうか不安ですが、9:00スタートで、17:00までの帰還を目標に歩みを進めます。観光協会から湖沿いに向かってすぐ、湖畔沿いに延びる件のりんりんロードが出現。初めて目にした、朝の快晴の霞ヶ浦は、今でも瞼の裏に焼き付いているほどの美しい景色でした。そんな美しい景色は右手に、左手には一面のレンコン畑とゆるやかな段丘層を見ながら、しばし自転車をこぎます。進行方向を示す青色矢印と500mごとの距離計があることで、道に迷うことはないのだという、大きな安心感を与えてくれます。スタート地点から20㎞ほど、今回のサイクリングの目的地のひとつ「かすみがうら市水族館」に到着。今まで巡った水族館の中では間違いなく最小の規模でしたが、高い満足感を得られる展示内容でした。閑話休題、水族館からさらに歩を進むと、前方に霞ヶ浦大橋が出現。霞ヶ浦を短絡している橋梁のひとつで、かすみがうら市と行方市を結んでいます。霞ヶ浦の北のほう、すなわち石岡側へ進まないことには真に「霞ヶ浦1週した!」と自慢できないのですが、時間も心配なので、今回はしぶしぶ橋を渡りましょう…。ここで進路は東向きから南向きに変わり、潮来市方面へと向かいます。そして気づいた、左手に見える特徴的な二ツ山の山体。茨城県民心の象徴である筑波山が湖越しに見える景色は、まさに絶景と評するほかありません。


しかし、そんな絶景を味わっている余裕があるのもここまで。潮来市を通過して稲敷市に入り、進路を西に向け始めてからは、疲労を明らかに意識し始めるようになります。何よりも、まだ50㎞以上もいるという無慈悲な事実は、さらに私の疲労感を増大させます。すでに棒になった足を叩きつつ、ひたすら自転車をこぎ続けて、美浦村、阿見町へ。いつの間にか日も落ち始め、霞ヶ浦は夕焼けの情景へと変わっていました。どんなに美しい景色を見ても、疲労のせいで「いい景色だナア」以外の感想と記憶がありません。そして7時間ぶりに戻ってきた土浦市の市街地は、達成感に疲労が入り混じったせいか、朝見たそれとは違っていました。完走した感想ですが、よい景色で走りやすい道ながら、初心者が日帰りでやるにはキツイ距離だと感じました。帰りは取手市にあるスーパー銭湯に行きました。いいサウナでした。



瀬戸内海のしまなみ海道

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瀬戸内海は11府県が海岸線を持つ大きな内海で、700以上の島がある多島美を楽しむことができます。今でも船による交易が盛んな地域でありますが、現在では3つのルートで瀬戸内海を渡り四国と本州が橋で繋がっています。その本州四国連絡橋のひとつ、E76西瀬戸自動車道および国道317号線・通称しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市にある7つの島を10の橋梁で渡る、全長約60㎞のルートです。しまなみ海道の特筆すべき点は、本州四国連絡橋で唯一、歩行者と自転車の通行が可能であること。走行可能な橋に加えて道中の島にはサイクリングロードが整備されており、その多島美を味わうために、全国のサイクリストたちが集うサイクリングの聖地となっているのです。私はすでに本州四国連絡橋の他の2ルートは訪問済み。残すはしまなみ海道のみで、今年中に走破することを目標に計画していました。そう、前述の霞ヶ浦サイクリングは、しまなみ海道サイクリングを実行するための下準備であったのです。


本日は今治駅からお散歩。レンタサイクル受付開始の朝イチ午前8時に来たのですが、すでに同行者たちの姿が見えることからも、人気のサイクリングコースであることが窺えます。昨日は瀬戸内に似つかない寒波と積雪があり、天気に不安を感じていたものの、幸運にも本日は快晴。本日の行程は約76㎞、前回の霞ヶ浦ルートの約4分の3ほどですが、気を抜かずに進んでいきます。今治駅から6㎞ほど、いよいよ最初の橋梁が目に見えてきます。今治からのサイクリストを迎えるこの来島海峡大橋は世界初の3連吊橋で、その全長は4105m、主塔の高さは178mにもなります。あまりにも巨大な橋梁の迫力と、朝焼けの瀬戸内海の多島美は筆舌に尽くしがたいものでありました。とはいえ、高所恐怖症の私にとって、この高さは天敵です。絶景を楽しみたい思いと恐怖心がせめぎあいながら、第一の島:大島へ上陸。橋を降りて国道317号に合流、山中の峠をいくつか超える道が続きます。体力温存のため上り坂はすべて手押しで進みましたが、いま思えば、この大島が一番の難所で、あとは基本的に平坦な海岸ルートでした。さあ大島を10kmほど進むと、再び大きな吊橋が視界に入ってきます。来島海峡大橋ほどではないにせよ、この伯方・大島大橋もすさまじい迫力です。伯方島から大三島方面に進み、次に現れる橋は大三島大橋。今回のルートの中で唯一のアーチ橋で、私にとっては見慣れないソリッドリブアーチ構造です。このあたりの景色は、瀬戸内海の島の多さと海峡の狭さが実感できる絶景ポイントだったと記憶しています。さて、到着した大三島には、かねてから訪問したいと思っていた大山祇神社があるのですが、そこまで行くとなると往復で10km以上…。道の駅での休憩中、眼前にある斜張橋と多島美に感動しながら、行くべきかどうか悩み続けます。結論、体力とこの後の予定を考えて、断腸の思いで今回は見送ることとしました。


再び自転車をこぎ始めます。先ほどから見えていたこの斜張橋は多々羅大橋、国内最大の斜張橋であり、愛媛県と広島県の県境、すなわち今回の行程のだいたいの折り返し地点です。疲労が溜まってきた頃合いのはずでしたが、この橋からの眺めは素晴らしい絶景。美しさに圧倒される快感が大きく勝り。実際のところ、そこまで疲れたという実感はなかったです。降り立った生口島では、今までよりもいっそう柑橘系の果樹畑が印象的。この生口島からは広島県、対岸には久方ぶりの本州が見えます。アナゴ丼定食を食べてエネルギーチャージ、次の島へ渡るべく生口橋へと向かいます。複合斜張橋という独特のデザインが印象的な美しい橋でした。残り20kmの表示、俄然やる気が湧いてきます。先ほどまでの島々とは違い、因島に入ると本土でもメジャーなチェーン店もよく見かけるようになったことで、ゴールが近づきつつあることを実感。そして最後の橋梁:因島大橋は、車道の下を歩行者・自転車が通行する構造です。これも美しい橋梁で、上陸した向島にて休憩中、名残惜しさのせいもありますが、しばらく見惚れるほどの情景でした。向島でのラストラン、最後は渡し舟で対岸の本州側まで渡ります。これにて尾道港へ到着、休憩含めて7時間弱のサイクリングとなりました。完走した感想ですが、76kmにしては思いのほか余裕をもって走破できたなという感覚と、なによりも、ここにしかない絶景を楽しむことができるというのは素晴らしいです。初心者にも走りやすい道ですので、オススメですよ!


おわりに

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以上、私の主観によるお散歩スポット紹介でした。少しでもみなさんの参考になったならば幸いです。正直なところ、日本は街中だろうと田舎だろうと、どこを歩いていても興味深い気付きがたくさんあります。何に気付くのか、何に感動を覚えるのか、何を「思い出」として留めておくのかというものは個人差が大きいですが、それらは知識によって拡大していくものだと私は考えています。工学の知識を深めれば、トンネルや橋、道路構造物やジャンクションは独創的な芸術作品に見えてきますし、地質学の知識があれば、どんな石ころにだって物語を感じずにはいられません。今後も、自分なりのまちの見方を研鑽していきたいものです。みなさんも散歩に出かけて、時より普段とは違った視点から風景を観てはいかがでしょうか。いつもみている自然の景色が、いつもとは少し違ったようにみえるようになるかもしれません。


R.T. (Student Staff Leader)

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